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 今年の夏の高校野球は、埼玉の花咲徳栄が、日本一に!!

花咲といえば・・花神・・司馬遼太郎・・大村益次郎・・日本陸軍の父・・

今、益次郎の研究をしています。

 百姓上がりの医者が、日本の軍隊の司令官になる。また、教育の種もまいた人です。

何故人気がないのか??

 これは、小松帯刃同様・・その後の大久保、西郷神話、岩倉も含みますが・・が原因。

また、あまりマスコミ受けするキャラではないのが原因かも。2人とも。

 私は、日本史において「大村益次郎」が残した成果は大きいと思っています。

1、現在の東大、大阪大、早稲田、慶応、日大が出来たのは・・大村の意思を受け継いだ人や
  
  福沢のような、大村と別の道を歩いた人たちで・・形成されて行く。

2、長州征伐での幕府撃退の軍師・・数学の論理を軍事や兵法に取り入れマニアルを最初に作る。

  経営や組織論に於いて当時としては、現代に通じる戦略を登用している。

3、戦争に関しては、自衛のみの戦いに徹し・・侵略戦争は、否定している。医者の治療の発想

4、敗者に対しても、礼を尽くす・・靖国神社は、維新の為に殉じた人を祭ったもので・・侵略戦争犠牲者は
 
  本来、大村の本意ではありません。銅像があるのは、彼が創建したからです。

5、彰義隊との上野戦争の時も、江戸市中が火災にならないような配慮をする人です。

無血開城と・・勝と西郷が、有名ですが・・実は、城の明け渡しまではしましたが・・江戸の治安は、西郷が勝さん

に全権委任の方針でした。しかし、無法地帯に近く(新政府としては)やむをえず、排除の政策を選択した。

 明治政府の実質的な支配は、上野戦争後です。それまでは、幕府の巻き返しを半分の江戸市民が考えていま

した。当時としては、まだ江戸幕府の力を過大に感じているのが自然でした。

 そういう意味では、益次郎無しでは、首都の制圧はできなく・・混沌とした、政治体制のまま・・

新政府の実質的な支配は、その後に全国に知らしめることにとなります。

以上報告まで・・・

 今日、18日の午後8時に富山に戻りました。

今日は、新山口から防府に向かいました。

三田尻港を見に行きました。その後毛利庭園に・・・そこで、サプライズが・・

 な、な、なんと現在の毛利家の当主に、遭遇しました。

もちろん、誰もその人が毛利の当主とは思いません。

話好きのミヤヒロさんは、その前に地元のAさんと仲良くなりました。

人見知りをしないミヤヒロちゃんは、ちゃっかり話しかけ、一緒に写真を・・感激でした!!

Aさんに、感謝です。まさか、そこに毛利家の当主がお住まいとは知りませんでしたし・・

私が、庭園を訪問しているときに遭遇するとは、思いませんでした。

一生の思い出となりました。

 昨日は、某ハウスメーカーの訪問の後・・大村益次郎さんの墓参りをしました。

山口まで足を延ばし・・県庁と資料館を訪問・・しかし、タクシー代が1万円かかりました。

1泊2日の旅でしたが・・色々ありました。落石で、山陽本線が2時間不通に・・

 今回、お世話になりました山口の皆さん(岡村さん、Aさん、池田さん、毛利さん)ありがとうございました!

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